繋ぎ飼われたその果てに-13

 とうとう春休みは始まってしまった。まだ肌寒い空気が私の制服を迎え入れた今、この瞬間をもって。校舎から足を踏み出して、外に出て、光を浴びて、開放感などは微塵も感じず時を迎える。どれもこれも後ろで歩きスマホをしている湯尾君のおかげだ。ここ一週間、彼は私の相手をキープするべく見知らぬ誰かとのメール交換に熱中していた。何度目隠ししたサンプル写真を撮られたことか。これで私も立派な"リベンジ"被害者の仲間入り。後悔は、しないと思う。持ちかけたのは湯尾君からだったけど最終的に了承したのは私自身だから。
 今日はこのまま帰っていいんだろうか。前回は学校から彼女との待ち合わせ場所へ直行していただけに少し気にかかる。ためらいがちに前を歩いて赤信号が灯る横断歩道に立ち止まったら肩にぽてっと硬い感触がぶつかった。絶対にわざとだ。
「このあとの予定は?」
 肩に寄りかかってくる頭に自分の頭をのせて尋ねる。
「中洲近くのゲーセンで時間潰し」
 ということは、これまでの二人とは違う、別の女性と落ち合うのか。今度こそ見かけたあの人だろか、と思いを馳せる。
 予感は当たった。二時間後、中洲という情報から呼び起こされる情報が頭の中を駆け巡る。
 この人が湯尾君のきっかけ。  クレーンゲーム中にいきなり後ろから彼に抱きついてきた女性を一目見て納得する。私が"見たこと"があるその人だった。湯尾君とタクシーの中でバードキスをかわしていた、あの。記憶とは一ミリも違わず女性というものが磨き上げられており、華やかだ。湯尾君の話によると彼女は、職は平々凡々の事務職とのことだけど家が平凡とはかけ離れていた。いわゆる社長令嬢というやつだ。私と湯尾君が喉から手が出るほど欲している環境を彼女は持っている。
 彼女に連れられて来たのは和食のお店。通されたのは掘りごたつ式の個室だった。私と湯尾君が対面で座ると女性は中途半端に側面に座ってきた。∪の字になって席につき、注文を手早くしてもらってしばらくは学校やおじいちゃんの様子を湯尾君は女性に話していた。  そういえばなんで私も同伴しなきゃいけなかったんだろう。前回の女性は湯尾君から話を聞いて老婆心を働かせたらしかったというのは容易く想像できたけれど、この人はどうして。現にこうして話に混ぜてもらえることもなくハブられている。
 そんな事態が変わったのはある程度料理が出揃ってから。湯尾君が気まずそうに顔を下向けたんだ。
「のどかがいるでしょ」
 それまで二人の空気だったのにいきなり名前を呼ばれ、わけが分からず料理に向けていた意識を二人に移す。何やらニヤけた顔の女性。気づけば後ろに両手をついた行儀の悪い姿勢になっていた。そして卓下でもぞもぞと足を動かしているようだった。その先にあるのは。私が察したと同時に彼女は笑った。
「どの口が言うんだか。そっか、のどかちゃんっていうんだっけ」
「は、はい」
 強烈な微運動を終わらせると女性は私の方に詰め寄ってきた。頭のてっぺんから腰のあたりまで縫うような視線に晒される。湯尾君がホッとした表情を浮かべていたのに気を取られていたら不意打ちをくらった。
「ふーん。でも胸ちっちゃいね」
「ひゃっ」
 制服の上からやにわに鷲掴みにされる。最初は左手だけだったのに、掘りごたつから足を抜いて体勢を整えた彼女は両手を使って揉みはじめた。いたずらっぽく先も擦りだすから、真剣に引き剥がそうと両手首をつかむ。でも、意外と手に力が込められていて外すことができない。
「あーでも、こっちがいい感じなのかな」
「ちょっ」
 片手が外れたと安堵した途端、今度は下に手が伸びてきた。スカートを捲って侵入してきたそれは一番過敏なところを潰すように押してきて、思わずビクンと全身が跳ねる。
「あら、敏感」
 腹を抱えて哄笑する女性。私はもみくちゃになった制服の皺を伸ばしながら彼女を睨みつけた。なるほど。これは湯尾君をこの道に引きずり込んだだけはある。
「な、何するんですか。こんな場所で」
 呼吸が乱れているのがだいぶ恥ずかしい。湯尾君が真顔で傍観しているのも余計に羞恥心を煽った。少しくらい助け舟をよこしてくれてもいいのに。けど、この女性は湯尾君の飼い主だ。彼は基本女の人たちに逆らおうとはしない。警戒心バリバリで対面していたら、とんでもない台詞を投げられた。
「いやいや逆だって。何のためにわざわざ個室選んでると思ってるの」
 嘘だ。まさか、毎回ここで?
 "のどかがいるでしょ"。
 先程の湯尾君の制止はもしかして頭に"今日は"がつくとでも言うのだろうか。信じられない気持ちでニヤケ顔を見返す。すると、湯尾君がタイミングを計っていたかのように立ち上がった。虚を突かれた女性が彼を見上げる。
「どうしたの」
「お手洗い」
「えー今? なんなら私が抜いてあげようか」
「普通に用足すだけだから」
 品のない提案をさらりとかわして湯尾君は廊下へ消えていった。しんと場が静まる。彼女は白けたと言わんばかりにブランドもののカバンから煙草を取り出し、吸いはじめた。これまでは自然な流れで女の人と二人になっていたけれど、今回は確かな意図を感じた。たぶん、この人の命令。ならばこっちから本題に入ってやろう。
「あなたなんですか」
「何が?」
 問えば、眩んだように目を細める彼女。
「一人目」
 言ってしまうと僅かに呼吸が浅くなる感じがした。もちろん煙草のせいじゃない。
 女性はふぅと一服し、灰皿に灰を落とした。
「そうだとしたら」
 抑揚のない声。真意をつかめず、目で問い詰めるとあからさまに嫌な顔をされる。嫌な目にあったのはこっちだというのに。
「なに? 文句あるの」
 まさかという気持ちで私は答えた。
「いえ、ただの興味本位です。一人目なら初めての人かなって」
 ぶはっと汚い声がした。女性は自分が出した煙でゲホゲホと咽だす。荒れた呼吸音は間もなく笑い声に変化する。
「見かけによらずゲスだね。そういうの結構好きだよ」
 前にも湯尾君に同じことを指摘された。自分じゃ特別そうだと思わない。湯尾君の側にいたら誰だって気になってくることだ。
「どうも」
 相槌をすると笑い声が高くなる。
「なるほどね、あいつがかまっちゃうわけだ。会ってみたかったんだけど正解だった」
 やはり、今日は彼女の提案だったらしい。
 ほら、と女性はカバンの中からスマホを取り出した。
「なんかあったら相談くらいにはのれるよ。探してるんでしょ、相手」
「すみません、私携帯電話持ってないんです」
 あんな高価な物を持てるだけの経済力がほしくてこの世界に来たんだ。そんな蔑むような目で見られる筋合いはない。
「んーじゃあ、なんかメモっときなよ」
「はい」
 お言葉に甘えて生徒手帳に番号を控えさせてもらうことに。恐らく、この人にはお世話になる。そんな予感がした。なんとなく頼もしい心地になって番号を眺めていたら、女性は吸っていた途中の煙草を灰皿に押しつけて消した。
「言っとくけど」
「はい」
「今日、彼帰さないから」
 ストレートな物言いに唾を飲み込むしかできなかった。
 食事後は現地解散となった。といっても当然帰るのは私だけ。そういえば、なんだかんだで初めてだ。湯尾君の朝帰りを待つのは。風俗嬢のときは未遂で終わったから。
 帰宅し、預かった鍵で扉を開けて待っていたのは体温の薄れた静かな空気。それから普通にお風呂に入って上がって布団に横たわって寝るまでの間、私は一人決意した。
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