繋ぎ飼われたその果てに-08

 その後の入浴は無我夢中だった。新しく剃刀をおろして手入れをして髪も身体も入念に洗ってトリートメントの時間はいつもより長めにとって。思いつくのはこれくらいだった。湯尾君は私のあとにゆっくり使っていつものパジャマ姿で戻ってきた。そしてベッドの上で体操座りをして待っていた私を見て一言。
「緊張しすぎ」
 仕方ないじゃないか。未知の世界、しかも痛みや喪失感を味わうかもしれない案件だ。緊張するしかない。
 異を唱えるために流し目で見上げたら湯尾君はやわく笑った。
「大丈夫、今日はほぐすだけだから」
 それだけでも充分大層なことに聞こえるのは私だけ? しかもよく見たら右手にバスタオルを持っている。一目見てギョッとした私はそそくさと布団から退いた。温もりが残る場所にタオルは敷かれる。
「じゃ、横になって」
 布団の横で膝立ちになった湯尾君は腕を捲りながら見下ろしてきた。カクカクとロボットみたいに言う通りにする私。仰向けで見上げると湯尾君の顔に影がかかり、存在を遠く感じる。
「袖と裾、捲るよ」
 返事はできず、見届けることしかできない。肘と太腿の中間あたりまでパジャマが捲られる。空気に晒された部分が微かにひんやりする。いたたまれなくなって一瞬目を閉じたら、その時キュコと音がした。なにだろう。気になって再び視界を開く。湯尾君がなにかをてのひらの上転がしていた。
「んじゃ、足触るね」
 その声がして間もなくさらりと温かい液体が足の裏を滑った。湯尾君の手が肌を撫でるたびに甘い香りが鼻孔に届く。甘い花の香り。
「なに、それ」
 尋ねると、湯尾君が茶色の半透明なボトルを持ち上げて見せてくれた。
「ジャスミンのアロマオイル。良い匂いでしょ、リラックスしてていいよ」
「うん……」
 これからすることを考えるとリラックスは無理だけども、優しい香りのおかげか徐々に身体から力が抜けていった。
 骨ばった両手が左足を持ち上げ、優しく指圧する。全体を押したあと、下からオイルを塗り込むように指が動いた。爪を整えてくれたらしい、特有の引っかかりがまるでない。指も丹念に親指と人差し指を使って揉まれる。指と指の間を人差し指が上下に擦れるたび、くすぐったさにゾクゾクと何かが胸に這い上がる感覚に襲われる。足の甲も裏と同様に指圧され、今度は右足。こちらの足の甲も終わる頃には少し足がジンジンして熱っぽくなっていた。最後にくるぶしを痛くない程度に回されて足は終えた。そして、両手が少しずつ上に上がってくる。オイルを馴染ませるために大きな手がふくらはぎを這う。より強いジャスミンの香りが鼻先まで来て、くらりとした。左右交互にたぷたぷと指で押し撫でられ、脱力する。
 湯尾君に、少し脚立てるよ、と断られたあとは少し脚を開いた一見はしたない格好になっていた。制服だったらとてもじゃないけど無理な状況。ズボンで良かったと安心するも、太腿の裏がやや汗ばんでパジャマの生地がピタリとくっつくのがやけに恥ずかしかった。どんな肉付きをしているのか一目で分かる状態になっているだろう。膝を折って足を立てたあとはふくらはぎの裏側までしっかりと揉まれた。余分なオイルが膝の裏から太ももへ伝ったときは、思わずピクンと反応してしまった。湯尾君は当然気づいたはずだ。けれど、マッサージは無言で続けられ、だんだん手が上へと登ってくる。太ももが汗ばんでいるのを感づかれないかと心臓がドキドキした。
 なに、緊張してるの? まだマッサージしてるだけなのに。
 そうからかわれたら、顔から火が出てしまう。太ももは円を描くようにくるくるとてのひら全体で柔らかく押されていった。てのひらが上の方へ上の方へ来るたびに緊張が張り詰める。捲ったパジャマギリギリまで指は伸び、隙間に余裕がある箇所は中の方まで触れられて思わず過剰に反応してしまう。
「あっ」
 しまった、と急いで口を閉ざしても、もう遅い。見ずとも笑われてるんだろうなというのは察せられたので、恥ずかしくてたまらなくて天井を見ていた目を閉ざした。それはそれで、湯尾君に触れられる感覚が際立って逆効果だった。
「どう? 気持ちいい?」
 下半身が、熱い。口を開いたらまた変な声がでそうで、こくりと首だけ動かす。
「よし。のどか、脚終わったよ。次、手貸りるね」
 キュコと再びポンプ音。湯尾君が頭の上に来る気配がした。私は黙って彼の方向に右手を差出し、委ねた。おぼつかない手を滑らかな両手が包む。ふにふにとてのひらを押す親指。指の又は恋人つなぎで隅々までオイルを馴染ませられる。湯尾君の指が離れたあとに残るのはしっとりとした感触。こんなにじっくりと他人に手を触られる機会、初めてだ。大事に大事に、しかも長時間触れられて胸が疼く。
 手はまた腕、二の腕とじわじわ登ってくる。二の腕は胸の柔らかさと同じって都市伝説があるから、どんな気持ちで触られているんだろうと考えたら鼓動が早まった。ふと指先が腋を掠め、一段と強くビクッと身体が跳ねる。しつこく親指で撫でられ、熱も上昇する一方だ。はぁはぁ、と微かに息が荒くなる。湯尾君の指先は脇と鎖骨の間くらいまで侵入してきた。そのすぐ下にも来るんじゃないかと全身が脈打つ。何度かオイルが足され滑りのいい手は脇と肩まで撫でてしまうと、そっと肌から離れていった。すんでのところで手を引かれてヤキモキする。左手も同じく。湯尾君は脇フェチなのかもしれない。他の部位に比べてかける時間が1.5倍は長い。
「手も終わったよ。のどか、どうする?」
「どうする……って?」
「デコルテのオプションもありますが?」
 デコルテってどこだ、と目蓋を開ければ、湯尾君は自分の首から鎖骨の少ししたあたりをさらりと撫でて見せた。ここまで来たならできるとこまでしてほしい、というのが正直な思い。
「全部、貰うんでしょ」
 恥ずかしさが勝って直接顔を見て言えない。
「まぁね」
 余裕のある返事がちょっと憎い。分かりきっていることをわざわざ聞いてくるあたりSっ気があるんじゃないかというのは今更だろうか。
「ボタン、少し外すよ」
 湯尾君の手がパジャマにかかる。するすると布の擦れる音がする。胸元がちょっぴりひんやりした。
「もう一つ」
 下着が見えるんじゃ、とドキドキしながら目蓋を閉ざす力をこめる。少しして温かい手が首筋をなぞった。両手を使ってマッサージするものだから、ひょっとして首を絞められないかと不思議な予感がした。この心地よさに包まれながら死ねたらどんなに幸福だろう、とも思った。
 手は鎖骨まで伸びる。デコルテなんてオシャレな単語だけど、言ってしまえば胸の真上。意識しないほうが無理という話。上から下へ手が伸びるたびに、手がふくらみかけた場所を掠めるたびに、ビクッと肩が跳ねる。
 いつの間にか口も半開きになっていた。はぁ、とただの吐息とは説明のつかない呼吸が脳を刺激した。湯尾君に聞かれてる。そう思うとみっともなくて、泣きそうになる。このまま本番まで進んだらとんでもないことになる。それだけは快感にのぼせた頭でも想像できた。デコルテを撫ぜる動きが鈍くなる。次の段階に進むのだろうか。というか、次って何だろう。ドキマギしつつ湯尾君の反応を待つ。
「そしたら……」
 次はなに? 早く知って楽になりたくて、そろそろと目蓋を開く。
「今日はこれで終わり。どうだった? 満足してもらえたかな」
「えっ」
 終わり? 全部貰うんじゃなかったの?
 きょとんと見上げたら、彼はくすりと笑って言った。
「今日はほぐすだけって言ったよね」
 確かにそうだけれど、ほぐすって外側だけ?
「それとも、もっと大人の階段上りたかったの?」
 挑発的に笑う湯尾君。図星で、ぐぅの音も出ない。やっぱりSだ。
「いくら俺でも初っ端から気持ちよくさせるのは難しいから。初めてってどうしても痛いし。あとはお預け。できる?」
 湯尾君が私の頭の横に手を置き、顔を近づかせてくる。ふわっとジャスミンの香りが降りてきた。上下逆さまの唇が私の戸惑いを吸い込む。
 そうされたら大人しく頷くことしかできないよ。
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