繋ぎ飼われたその果てに-05

「開けていい?」
 出た声は小さい。結構ビビッている。
「うん」
 嫌味っぽく大きな返事。ちょっと悔しく思いつつ、私はガラスドアを開けた。湯尾君は腰にタオルを巻いてバスチェアに座っていた。鏡越しに目が合う。余裕の表情が憎たらしい。パジャマの袖と裾を濡れないように捲ってから浴室に足を踏み入れる。
「えっと、スポンジちょうだい」
「あれ、のどか身体から洗う派?」
 ただでさえ緊張しているのに意味不明な質問を投げてくるのはやめてほしい。
「背中洗うんでしょ?」
「頭もね」
「えっ」
 そう抵抗を見せたら苦笑された。
「いや、そういうもんなんだけど」
 それなら最初から言ってほしい。
 またググッとハードルが上がる。
 背中だけならまだよくある話なのに頭もなんて。それだと、立って湯尾君見下ろす形になるよね。本気なの?
「ほら、早くしないと風邪ひいちゃう」
「わ、分かったから」
 黙っててほしい。タイル張りの壁に湯尾君の低い声が響いて変な感じがする。
 急かされて、私は慌ててボトルをプッシュした。
「あ」
 湯尾君のまぬけな声がこだまする。
「のどか、それボディーソープ」
「あっ」
「ははっ、かーわいい。ドジッ娘だな、もう」
 もうって言いたいのは私だ。湯尾君が急かすからシャンプーとボディーソープの見分けもつかない。湯尾君は右手を伸ばして簡易棚に置いてあったスポンジを取った。
「ほら、手貸して」
 言われるままに左手を右脇から差し出した。それを空いた手で湯尾君がつかむ。
 おっきい手だな。そういえば湯尾君と親戚以外の異性の手に馴染みがない。15年間、本当に男の子と接すること無く生きてきたんだ。感慨深くなる。湯尾君はスポンジで私の掌からボディーソープを拭った。そしてスポンジを浴槽の縁に置いて、丁寧にシャンプーをワンプッシュ。お湯を入れた風呂桶もよこしてくれた。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
 立ち上がり、両手を軽く濡らして湯尾の頭上に手を置く。湯尾君は直毛だ。しかも恐らくお姉さんから貰ったであろうソープセットのおかげでサラサラしている。コシもしっかりしていて、とても洗いやすい髪の毛だった。わしゃわしゃと泡を立てながら手を動かす。
「美容師さんにしてもらうみたいに、マッサージしながらね。そう。もうちょっと力抜いて、爪はたてないで。あとてっぺんじゃなくて後ろのほう重点的に」
「後ろ?」
「頭の汚れって意外と後ろに集中するんだよ」
「そうなんだ」
 平常ならふーんと感心するところだけど、そんな余裕はない。さっきからチラチラと湯尾君の骨ばった身体が目に入って集中できなかった。背が高い子だとは思っていたけど、要所要所が骨ばっていて細い。でも薄っぺらくはない。ほどよく肉はついている。良い身体ってこういうのを言うのかもしれない。色も白すぎず健康的。綺麗だと、素直にそう思った。
「ん、もういいよ。洗いすぎてもよくない。のどか?」
 伺うように呼ばれてハッとする。見れば、湯尾君がお湯の出るシャワーヘッドを差し出してくれていた。慌ててそれを受け取り、流し残しがないよう丁寧にゆすいだ。彼のおでこにペタッと前髪がくっつく。
 この髪の毛なら色々作れたな。
 幼いときを思い出す。よくシャンプーの泡で髪を固定して色んな髪型にしていた。
 妙に緊張しないで、ばいきんまんで遊べばよかった。後悔先に立たず、この案件は次に持ち越しだ。
 私はシャワーヘッドを戻した。そのとき、湯尾君の腰に巻かれたタオルが濡れて太ももに張り付いているのが目に入る。水着とは違う無防備な生々しさがそこにあった。顔の温度が上昇するのが自分で分かる。
「のどかのえっち」
 ぼそっと湯尾君が漏らした。控えめに放たれたそれは浴室の中でひそひそ話のようなくすぐったい響きに育つ。
「っ、ちがっ」
「見とれてないで背中お願いしますよ。それともリタイアする?」
 ここまで来て引き下がれない性格なのはお見通しのくせに、これこそ野暮だ。もし視界の左に覗く浴槽にお湯がはってあったら突き落としてやれたのに。
「は、早くスポンジちょうだい」
「自分でとれるでしょ。はいはい」
 思い切りからかいにきているんだけど、顔をこちらに向けないあたり、ちゃんと気を使うところは気を使ってくれている。優しさが絶妙なんだ。お姉さんたちはこういうところにキュンときちゃうんだろう。なんとなく気持ちが分かる。
 湯尾君から渡されたスポンジをくしゃっと泡立て、恐る恐る湯尾君の背中を滑らせる。なめらかに広がる肌は出来物なんか一つもなくて、ついこぼしてしまった。
「肌、綺麗だよね」
 言ってしまった……。ほんと、これじゃただ見とれているだけだ。
「人によっちゃ付き合わされるんだよね、サロン」
「それって、エステ?」
「まぁそんなとこ」
 この世のどこにエステサロンに通う平民男子高校生がいると思うだろうか。私でも、お金があったとしても次元が違いすぎて行こうとすら思いつかない。
「結構気持ちいいよ。一緒に連れてってもらう?」
「は?」
「いや、マジで。その人気前いいから。それにのどかみたいなダイヤの原石見つけると世話焼きになるタイプだし」
 気前がいいで済む話なのか、それにダイヤの原石って。
「考えとく」
 考えだしたらキリがない。目の前の背中に集中しよう。私はそれから湯尾君の指示通り首の後ろと両腕両脇も優しく洗った。あんまり見つけたくなかったけど湯尾君は脇も綺麗だった。訊かずとも"サロン"で永久処理してもらったんだろうというのが分かる。いわゆる女子力というものは圧倒的に湯尾君の方が高かった。女としてのプライドがズタボロだ。
「あとはもういいよ。のどか濡れちゃうし」
 心臓に悪影響を及ぼすだけの時間は湯尾君のあっけない一言で終わりを告げた。浴室から退場し、洗面台にかかっていたタオルで足と手の湿り気をとってからリビングに戻る。そういえば、布団はどこに敷くんだろう。部屋を見渡し思い浮かぶのは押入れの中。ここだっけと開けて見れば、下に折りたたんで仕舞ってあった。私が気づかなかっただけのようだ。テーブルは折りたたみ式。
 だいたいの物をよけて敷いておこう。
 お風呂から上がった湯尾君がリビングに来たのは、私が布団を敷き終わったドンピシャのタイミングだった。
「お、気が利くじゃん。んじゃ、さっそく」
 よかった。当たりだ。
 敷きたての布団に湯尾君はすぐさま潜りこんだ。置いてきぼりにされてどうしたらいいか分からなくなる。手持ち無沙汰でおろおろ立っていたら、クスリ、笑い声が掛け布団の中から聞こえた。
「入りなよ、ほら」
 上半身を起こして、湯尾君が招いてくれる。
「失礼しま……きゃっ」
 導かれるままに布団のスペースに腰を下ろしたら、二の腕を引っ張られて気づけばすっぽり寝ながら抱きしめられていた。
「ちょっ」
「のどかのミッションなーんだ」
「お、男に慣れる」
「正解」
 顔にかかる息がくすぐったくて、改めて距離の近さを体感する。くっついたところから湯尾君のゆったりとした心音を感じ、同時に私の爆発寸前の鼓動も相手に伝わっているんだろうなと情けなくなる。
「ねぇ、どんな感じ?」
 また顔に熱がかかる。私の身体を包む腕にぎゅっと力が入って、心臓が止まるかと思った。
「分かるでしょ」
「言葉にしなきゃ分からないよ」
 ほら、またそうやって抱きしめるから二の句が継げない。寝逃げできれば、それが最善の方法。もちろん不可能だ。
「……あったかい」
「風呂上がったばかりだからね。他には」
「言わせる?」
 頼むから笑って呆れてお仕舞いにしてほしい。けれど、この手の話題に関しては容赦無いのが湯尾君なわけで。
「うん、聞きたい」
 いじわるそうな声。抱きしめられてよく見えないけど、確実にニマニマ顔をしていることだろう。どんな感じか。湯尾君の体温があったかくて、密着感に全身がドキドキしていて、でも嫌じゃない。触れているところが心地よい。優しくくるまれている。
「まんじゅうの餅みたい」
 ベタベタしないでさらりと形を崩さないように、けれどしっかりと抱き締めてくれる。私を大事にしてくれている。そしてもし口に含めたら優しい甘さで迎えてくれるんだろうなと感じさせる。
「食べ物扱いときたか」
 今度こそ湯尾君は呆れていた。クスクス揺れるのが直に伝わってくる。
「ねぇ」
「ん?」
「他にも私みたいなオネガイした子っている?」
 手作りお弁当屋のかしわご飯弁当を引き換えに男女関係に関するオネガイを一つ叶えてくれる渡り廊下の湯尾君。切羽詰まって考えるに至らなかったけれど、"男女関係に関するオネガイ"ってどこまでなんだろう。私以外にもこうして抱きしめられた学生がいるとしたら。
「いや、ここまでぶっ飛んだのはのどかだけだよ。普通は彼氏と進展しないとか関係がぎこちなくなってきたとか平々凡々な青春って感じ」
 湯尾君が赤子をあやすように私の背中を小さく叩いてくれた。ポン、ポン、ポン、優しい手つき。
「そっか」
 そうなんだ。
 鼓動が大きくなっていく、それと共にゆったりとしたリズムへと変調していく。そのうち手が止まってスースーと落ち着いた寝息が聞こえた。
 学校の中でこの温かみを知っているのは私だけ。
 そう思うと、何故だか心が安らいだ。
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