繋ぎ飼われたその果てに-02

 着いた先は通学駅の一歩手前の駅近くに建っていたアパート。古すぎず新しすぎず、でもやはり埃っぽさが拭えない空気を纏っていた。その一階、門から入って一番右の部屋に私は通された。表札には何も書かれていない。部屋に入って真ん中にあったテーブルの前に座る。中は年相応に散らかっていた。取り込んだ洗濯物、開いて重ねてある参考書、何日前か分からない新聞の束。でも汚くはない。何より埃臭くはなかった。うちと大違いだ。
「そういえば、名前は?」
 溌剌とした声が届く。彼はキッチンへ行き、冷蔵庫からボトルを取り出してマグカップにお茶を注ぎはじめた。
「來のどか」
「ライ? 珍しいね。俺は湯尾ミサキ」
「ミサキって海に咲く、だよね」
「うん。よく知っているね」
 合ってた。今更人違いじゃないことに安心する。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 湯尾君が私にマグカップを渡してくれた。白いコップの中には緑茶が入っていた。透明な緑色が綺麗だ。
「あの」
「なに」
「なんであんなところに呼び出したの?」
 私は援助交際の方法を知りたかった。湯尾君は売りを勧めてきた。でも、あの時間のあの場所は水商売のキャッチがごろついていて、どちらの目的も果たせない所だった。納得がいかない。
「俺はあの場所しか知らないから」
「え」
「中二のときに、塾の帰りにぶらついてたら声かけられて色々奢ってもらったんだよね」
 今の私からしたらとてつもなく羨ましいことを語られ、街角で美味しそうにソフトクリームを食べる子を見かけた時のような物欲しさが湧く。
「ちなみに俺の噂、どれ知ってるの」
「オネガイのこと」
「それだけじゃ、あんな話ふらなくない?」
 鋭いところをついてくる。しかし、"知ってる"のは本当にそれだけ。
「あとは大人の女の人に金銭的に支えてもらう代わりにキスしたりしてるの見たことあるぐらい」
「あー、そう来たか」
 湯尾君は溜息まじりに呟いた。
 本当だった。二か月前、日曜日に街に遊びにいったとき、綺麗な女の人と高級レストランから出てきてタクシーに乗り込み、車内でバードキスを交わしていたのを私は目撃したんだ。半径2メートル以内、結構近距離だった。
「同じ学年だよね?」
「うん」
「でもクラス近くはないよね?」
「うん」
「でも、俺の顔知ってたんだ」
「もうその頃には援交のことは考えてたから」
 母の帰りが2、3日に一回の頻度になっていた。母は深夜のコンビニでパートをしていた。これは聞いた話で、実際どうだったかなんて今はもう分からない。ただ、母が帰る度に玄関に煙草とキツイ香水の香りが残っていた。それだけはハッキリ覚えている。
「お願い。どうやったら、そういう人と知り合えるか教えて」
「だから、俺はあの場所しか知らないんだよね。あ、出会い系の掲示板とかは?」
「一回試した。でも、ご飯奢ってもらっただけで終わっちゃった」
「どんな人だったの」
 若いサラリーマンだった。食事を共にして後日、何回か連絡来ていたけど、あまりお金持ってなさそうだったから切った。それを伝えると湯尾君は、手厳しいね、と乾いた笑いを漏らした。そしてマグカップを手の中でコロコロ転がす。
「じゃ、おじ様狙い? でも不倫ってバレたら損害賠償払わされるんじゃなかったっけ」
「そこは最初に奥さんとかお子さんいませんよね? って確認しようと思って」
「あぁ、いるなら捨てますって素振りみせて嘘つかせるんだ。なるほど、それなら結婚してたなんて話聞いてなかったって言えるね。ま、理想はフリーだろうけど」
「うん」
 少しぬるくなった緑茶を一口。苦めの私好みの味だった。
「でもフリーって結婚チラつかせてくるでしょ。鬱陶しくないの」
「暴力さえ振るわなきゃ、それでいいから」
 むしろ結婚できるならしたいくらいだ。大抵の女なら一度は夢見る優雅な専業主婦ぐらし。もっと贅沢な人間は退屈な日々に不倫というスリルも味わうという。私はそんな気、さらさら無いけれど。
「のどかは今いくつだっけ」
「15歳」
「じゃあまだ結婚は無理か。あと1年だけだけど高校出たいんでしょ」
 決めつけるような物言い。しかし、正解だから反論できない。にしても、高校だけは出たいとこの人に教えたっけ。
「いや普通にせっかく受験頑張ってそこそこ良いレベルの私立入れたんだから卒業はしたいでしょ」
「うん」
 まさにその通りだった。もし上手く相手が見つかって結婚にこぎつけられたとしても現代は結婚=永久就職という式は崩壊してしまっている。お金のために働くにはせめて高卒の学歴は欲しい。
「でもなぁー。これ以上俺が教えられるのセックスくらいだよ。セックス上手くなっても援交相手見つからなきゃ意味ないよね」
 そこいらの高校生なら口にだすのに躊躇する単語をさらりと言う。彼にとって馴染んだ言葉なんだと知らされる。セックス。私にとっては未知の世界。
「湯尾君は何人いるの」
 思いついた疑問をぽろりとこぼせば、え? と固まる顔。
「相手。一人じゃないよね」
「なんで」
「見たことあるから」
 嘘だった。鎌をかけてみただけだ。湯尾君は何をどう考えているのか分かりづらい。だから引っかかってくれるか不安だった。でもそれは気にしすぎのようだ。
「まじか」
 マグカップを転がしていた手の動きが止まる。案外単純な子なのかもしれない。
「で?」
 何人いるのだろう。湯尾君は人に慣れている。初対面の私を家に入れるくらいだから、元々人懐こい性格なのはなんとなく感じられた。
「うーん、今は四人かな。マックスで六人」
 片手で五本指を折り曲げて固まる湯尾君。自分でも思っていたより多かったらしい。
「凄い。一人月いくらぐらいくれたの」
思わずテーブルに身を乗り出した。すると目先にある唇がニマニマと歪む。
「のどかってさ」
「うん」
「かなりゲスいよね」
「ゲス?」
「お金にがめついよなって。人を、金を運ぶ機械ぐらいに思ってるでしょ」
「だとしたら?」
「うわ、開き直った」
 ケラケラと軽い笑い声が響く。
「でも今のは不正解」
「え」
 笑ったと思ったら細い目で私を見下してきた。このギャップは強烈だった。笑顔でいるときは、こんな子が援交やってるんだと不思議でたまらなくなるけど、今は違う。この目で色んな女の人を悦ばせてきたんだ、と腑に落ちる。
「そこは、そんなことない、って恥ずかしそうにするところ。可愛げがなきゃ、おじ様たちは甘やかしてくれないと思う」
「そういうものなの?」
「うん。おじ様に限らず男はそういうのが好き。なんか、のどかさ。さっきから私一人で生き延びてやる感満載だけど、男はこいつには俺がいないと駄目だって思わせないと」
 湯尾君曰く、"一人で生きれるなら俺いらないよねっていじけるのが男の情けないところ"らしい。分かった、と返せば、うーんと顎に手をついて彼は深く考えこみだした。
「やっぱ男に慣れてないってのは難関だよね」
「初々しさを売りにしちゃ駄目なの」
 今の日本はロリコンがうじゃうじゃいる。女の子に純潔さや無垢さを求める高望みの変態ばかりだ。もう高校生だから身分からしたらギリギリかもしれないけど歳は15、まだまだ子どもだ。
「それじゃ何も分かってない鳥頭だからって安く買いたたかれるよ。それこそ若いリーマンみたいな雑魚が釣れるだけで鯛を逃すだけ。良い男を釣りたいなら良い女にならなきゃ」
 まるで良い女という生き物を把握しているような言い方。実際そうなんだろう。街で湯尾君と一緒にいた女の人は女として完璧に磨かれていた。思い出しただけでつけていたのかも知らない香水の香りが鼻につく。単なる偏見だと飲み込んでいても、そのビジョンは止まない。
「ねぇ、掃除できる?」
 その質問は唐突で。私を困らせるのに充分だった。
「う、うん」
「なら交渉成立」
 何が。問うまでもなく、ニコニコ顔の湯尾君はとんでもないことを言いだした。 「ここで一緒に暮らそう」
 は? と声が引きつる。オネガイしている立場なのに。
「とにかくお金が欲しいんでしょ? なら、なんでも屋にでも依頼して家にあるものはなるだけ売って金にして。あ、親の残したものも含めてね。オススメのとこ教えるから。んで、俺と一緒にいることで勝手に学習して、勝手に実践して援交勝ち取りなよ」
「ちょっと待って」
 話しが飛びすぎて、頭がついていかない。そもそも。
「質問に答えてよ。一人いくらぐらい貰えるの」
なんだかいいように遊ばれているような気がしてきた。会話が成り立ってない。
「のどかさ」
 湯尾君がマグカップをあおる。緑茶を飲み干し、ドンとカップをテーブルの上に置いた。
「宝くじが当たっても人に教えちゃいけないって聞いたことない?」
「ある……けど」
「そういうこと。あと結局は人によるしね。のどかはお金持ち生活したいの?」
「そういうわけじゃ」
 私も必要最低限高校卒業できるくらい稼げれば今はそれでいい。あわよくばそのあとも苦しい生活しないくらいにはお金欲しいけれど。
「要するに安定した収入を得たいってことだよね。将来そこに辿りつくとして今は準備運動期間。のどかが覚えなきゃいけないのは男に慣れることと悦ばせられるようになること。掃除してくれるならここにいていいから。そうしよ」
「だから待って」
 男の人に慣れるために一緒に生活する、なんて極論すぎやしないか。
「私は方法を教えてもらえたらそれで」
「んー。もう分かってくれてたと思ったんだけどな」
「何を?」
 驚きを通り越して呆れはじめたとき、湯尾君は困ったと言わんばかりに両手を裏返して肩を上下させた。そのポーズをしたいのは私だ。
「俺、自分でいうのもなんだけど天然なんだよね。今こうやってヒモ生活してるのも意識したんじゃなくて気がついたらこうなってたってだけだから、情報として教えられることはもう中洲で教えたよ」
 あー……。
 天は二物を与えず、ということだろうか。神様は湯尾君に人を引き付ける魅力を授けはしたけれど、人に教える才は与えなかったみたいだ。
「分かった。それはもう分かったけど、そうして湯尾君はまずいことにならないの?」
「まずいこと?」
「お姉さんたちに怒られないかってこと」
 一人の男を巡ってドロドロ大惨事、なんてよくある話。見る限り女性の匂いがしないこの部屋にオネガイをしただけの私が住み着いていいとは、到底思えなかった。
「あぁ、大丈夫。全員自分の他にも女いるの分かってるし、一人増えたって今更? って感じだと思うよ。それにわざわざ詮索するような野暮な人は選ばない。のどかが色々条件つけたいみたいに俺だって相手選ぶよ」
 なるほど、と流されそうになったのを踏みとどまる。
「一応確認しておきたいんだけど、ご両親は怒ったりしないの?」
 割と真面目な質問だったのに、湯尾君は唇を尖らせてブーブー言いだした。豚か。
「はい、減点」
 右手でむにっと鼻先をつままれる。
「それこそ俺の嫌いな野暮そのものだ。俺ものどかと同じ、援交だの売りだの考え出すくらいネグレクト受けてるの。そもそも生きてるかも分からない。のどかもそうでしょ、まともな親がいないからこうして苦しんでもがいてる。ここまで言ったから教えようか。俺の保護者は寝たきりでほぼ植物状態になってる親戚のお爺ちゃんってことになってる。だから俺の案にブーブー言う存在は誰一人としてこの世に存在しない」
「そうなんだ」
 心の底からホッとした。私と似たような状況でもちゃんと生きている人がいる。高校生やっている子がいる。私にはまだ進む道が残されていた。不謹慎だという自覚はある。
「及第点、かな」
 鼻にとまっていた手が離れる。
「ここで謝られたら追い出すつもりだった。けどそこまで腐ってないみたいだね。良いんじゃない」
 湯尾君は身体の前に置いていたマグカップを二つ端によけて、テーブルに肘をつきひそひそ話の恰好をした。それに耳を傾ける私。
「決行は週末。最低限の荷物でこっちにおいで」
 低く、乾燥した声が鼓膜をくすぐった。と思ったら頬に温かいものが触れた。ビックリして身を引いたら、湯尾君はこう笑ったんだ。
この不慣れは長期合宿が必要だね、と。
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