繋ぎ飼われたその果てに-01

 昼休み、彼は渡り廊下の壁際に設置されている腰掛に座って青いイヤホンを耳に着け、スマートフォンで静かに音楽を聴く。出現率は2/6。今日は運がいい。私は彼の好物、手作りお弁当屋のかしわご飯弁当が入ったビニール袋を引っさげ、目蓋を閉じて音に聞き入る彼の前に立った。あの、とイヤホン越しでも聞こえるように声を張り上げる。
「なに」
 言葉はすぐに返ってきた。右手でイヤホンを外し、ゆっくりと彼は目を開けた。細い目が私を見返す。
「オネガイがあるんです」
 おずおずとビニール袋を渡す。受け取った彼は両手で袋を広げ、中を覗き込んだ。そして表情を変えず、立ち上がる。
「場所、変えようか」
 普通の人だったら動揺していいものを、彼は無表情で対応した。慣れきってしまっているんだろう。噂は本当らしい。私は彼に付いて歩いた。着いたのは校舎の端にある非常階段。重たい鉄のドアを開けると静かでやや埃っぽい空気が私たちを迎えた。彼が階段に腰をかける。
「君も座りなよ」
「いや、いいです」
 スカートに埃がつきそうで嫌だった。階段には薄っすらと膜をはるように埃が溜まっていた。いつか機能することを期待したのに放置する、管理の甘さ。
「そう。じゃあ、要件は?」
 きた。心臓が勢いよく縮む。一拍おいて私は答えた。
「援交の仕方、私に教えて」
 蒸発した親が残していったのは1年分の学費。残り年数はあと2年。金がない。バイトはしていた。時給760円を4時間、週3回。当然、女子高生が一人で2年間学生生活乗り切るには稼ぎが足りない。バイトを増やすことも考えたけれど、私の学力で今確保できている勉強時間を削ったら、成績が下がって学費以前の問題になってしまう。
「今時、援助交際?」
「え」
 何故そこで疑問符が出るのだろうか。もしかして見当違いだった?だとしたらとんでもないミスだ。人違いをしてしまった。渡り廊下の湯尾君。手作りお弁当屋のかしわご飯弁当を引き換えに男女関係に関するオネガイを一つ叶えてくれる。青いイヤホンをつけて、いつも邦ロックを聞いている、黒髪のショートカットの男子生徒。てっきり彼だと思った。どう誤魔化そうか。顔に出さず焦りはじめたとき、彼は口を開いた。
「売りじゃなくていいの」
その台詞にまた一段と強く心臓が縮んだ。私の疑心が跳ね返される。
「どっちにしろ、男の人の喜ばせ方覚えないと。交際経験は何人?」
「ゼロ」
 悲しきかな、事実だ。世間一般からカテゴライズされると残念ながら私は地味な人間に部類される。校則に定められた風紀規則を順守した大量生産系の格好。髪も肩につかない程度に切ってある。色つきリップも日焼け止め効果がある化粧下地も使っていない。
「分かった。じゃあ、今日の放課後21時に中洲橋ね」
「えっ」
 いきなりの提案。指定された場所は県外でも有名な繁華街。神経が逆立つ。
「こういうのってまずは実践だよ。経験、積まなきゃ。それなりの服装で来てね」
 私の戸惑いを見透かしたように彼は言った。そして立ち上がり、鉄のドアを開ける。見えた風景は早く帰っておいでと彼を待ち望んでいたように色着いた。
「夕飯は軽く済ましといて。じゃ」
 バタン、と大きな音を立てて閉まったドアの風で舞った埃が鼻孔に入る。ケホケホと咳をして、遅れて私も外に出た。教室に戻る途中、渡り廊下を通ると、そこにはかしわ飯を満悦顔で頬張る彼がいた。遠足に来た小学生みたいに無邪気な顔。あの彼がさっき"売り"と口に出したとは信じられなくて、微妙な気分に見舞われる。私は足早に自分の教室に戻った。

◆ ◆ ◆

 どうして文明は発達してしまったんだろう。夜道は危ない、江戸時代まで通じていた暗黙の了解は爛々と光る街灯のせいで、この街では影すら残っていない。閉塞感のある暗色が広がる一方で、歩く道は眩しいくらいに照らされている。夜をも掌握する人間という生き物は強欲だ。本来睡眠欲を満たすための時間に生きるため仕事をしなければならない人が大勢いる。にもかかわらず、未だ夜は危険だと声をあげる行政。私は矛盾を感じてならなかった。あの人たちもそうだった。学費に生活が圧迫されているからアルバイトをしろ、でも危ないから夜遅くまで街を歩くな。学生の本分は勉強だから勉強もしなさい。まだ15歳の私を彼らはたくさんの鎖で縛ってきた。けれど、その鎖もとうに錆びついて機能を放棄している。全て、壊れてしまった。
 私の見かけは良くも悪くもない。少しだけ期待する。
「こんばんは! 君、一人?」
 中洲へと繋ぐ橋の上、行き交う人々を眺めていたら中洲の方角から来た男が一人私の前に立ち止まり話しかけてきた。ツヤのあるスーツを着こなしていた。髪は脱色しており、毛先がパサパサと風に吹かれている。俗にいう夜の住人だ。
「すみません」
 あんな浮ついた人種と会話を交わすことになるなんて、誰が予期していただろう。
 戸惑うと同時に、安心もする。私も単なる一人の女に見てもらえたのか。友達と好きなアーティストのライブに行くためにファンとして恥ずかしくないよう背伸びして買った服だ。これが通用しなかったら一生外を歩けない。
「なに謝っちゃってんの。悪いことしてないのに。あのさ、この先に俺が働いてる店あるんだよね。いいとこなんだけど一緒にどう? 初回めっちゃ安いよ」
 違う。私が求めているのはそっちじゃない。発散したいんじゃなく、蓄えたいんだ。
拒絶反応が起きた。
「お待たせ」
 歩く人々にも聞こえるように発せられた元気な声は彼のもの。振り向くと学生服のズボンに学校指定のジャージを羽織る、この地には到底合わない格好の彼がネオンの光を背に受けて立っていた。
「ごめん、遅くなった。閉まっちゃうから早く行こ、ゲーセン」
 ニコッと子どもみたいな笑顔。
「は?」
 出てきた威嚇は少し怖気づいたものだった。男は上から下まで私をじっくり見ると、チッとあからさまに舌打ちをした。
「さっさと帰れやクソガキ」
 そう吐いて、自分の巣に男は戻っていった。
「怖かった?」
 間をあけず淡々と問いかけられる。抑揚のなさがかえって耳にすんなり入ってくる。私も業務的に返答した。
「いや」
「そう。じゃあ、どう思った」
 予期しない答えだったのか、今度はまるで悪戯のように首を傾げる彼。それに引きずられて私もそのままの感情を口に出す。
「ガッカリした。私さ」
「ん?」
 パチクリと輝く瞳は小学生のそれのように透明感で溢れていて、私に躊躇を植えつける。
「やっぱり援交がいい」
「なんで」
「今壊れるわけにいかないから」
 夜の空気は淀んでいた。油と酒と煙草の臭いに排気ガス、とても綺麗とは言えない。綺麗でいたいんじゃない、せめて普通でいたいんだ。援助交際は普通なのかって? 一昔前は悪い意味での社会現象だった。でも現在はどうだろう。婚活、恋活、レンタル恋人、これが普通な世の中なんだ。自然に惹かれあって一つになる恋、そんなものは普通でなく理想になってしまった。そもそも昔から男は女に奢ってなんぼという風潮がある。男は少なくとも交際する上で女に貢がなきゃいけない。逆もしかり。恋をするためにセックスをするためにお金を払うのは当たり前のことなんだ。だから私が望むのは普通の範囲内。けれど売りは別の話。ヤクザ、クスリ、普通とは程遠い世界が潜んでいる。もし私が成人だったなら覚悟もできていたと思う。だが、私は未成年だ。成人とは5年という大きな経験の差がある。これじゃ戦えない。
「ふーん」
 彼は橋の欄干に両手をかけて腕を伸ばし、後ろにのけ反った。競技前の陸上選手みたいにやけに丁寧に。
「まるで俺が壊れてるみたいな言い方だね」
「ちがっ」
 否定したいがために大声が出る。これは私のキャパシティの問題を話しているのであって、彼には関係ないことだ。
「冗談だよ。そっか、バレたか。ここ今の時間はほとんどキャッチしかいないしね」
どこぞの大怪盗みたくお茶目に言う。コミカルな表情は私を和ませた。
「そうなの?」
「あれ、分かったんじゃなかったの? まぁ、いいや。気が変わって売りしたかったら始発でここに来るぐらいが丁度いいんじゃない。仕事終わりのホステス狙ってスカウトうじゃうじゃ沸いているから」
 想像していた以上に詳しい。これなら私のネガイも叶えられそうだ。
「じゃ、場所変えようか。電車どっち方面?」
「南」
「なら同じだ。ちょっと来て。落ち着いた場所で話そう。ここにいてもさっきみたいなキャッチかはした金すら払わないヤリチンしか来ないし」
 なら、どうしてこんなところに呼び出したのか。出かけた声を飲み込んで私は彼の後を追った。
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